I am no longer what I used to be (3)

それから、2年が経過した。
超人委員会主催ある種の野望の元、かつて、超人レスラーとそのファン達を沸かせた超人オ
リンピックが復活開催されることになった。マリも、ミートからの誘いもあって、凛子とともに、何
度か日本代表予選を見に行った。キン肉万太郎も、それに出場し、日本代表の座を獲得し、
ついに本選に望むことになっていた。来るべき開会式は、国立競技場で行われる。

「ママ、ミート君の伝手で、一般人ならなかなか取れない超VIP席取れるっていうからさあ、開会
式から一緒に見に行こうよ!ママの憧れだったマンタのお父さんも、セレモニーに出場するらし
いよ。ママの分もチケット、お願いしておく?」
凛子が言った。
超人オリンピック・・・その響き自体、マリにとって、余りにも懐かしく、切ないものであった。
私は、35年近く前に、二年連続で超人オリンピックを見に行った・・・。それは、あの人との思
い出の詰まった場所であり、同時に、あの人との終わりを確信した場所でもあった。
それだけではない・・・。他ならぬあの人が、会場に来るという・・・。もし私が、会場でVIP待遇の
特等席なんかに座っていたら、心ならずも、あの人と顔を合わせてしまうかもしれない・・・。
「心ならずも」?・・・本当に、そう思っているのか?
マリは、自問した。
あの人と再会できることは、楽しみではないのか?たとえ今は別の人と人生をともにしていると
しても、私の青春の思い出、いや、青春の全てであったあの人と再会できるということは・・・。

私はまだ若い?
マリは、鏡を見て、自問する。
確かに、もう60歳近い年齢にしては、自分でも若い方だと思うし、お世辞であっても、「いつま
でも若くてきれいで・・・」と言ってくれる人も少なからずいる。でも、自分が若く見えるとしたら、
それは、"reproduction"・・・日本語で言うと若干ニュアンスが異なるが、「生殖」と言う、雌が生
物的に当然使うべく与えられたエネルギーを使わずにいただめではないかと思う。養女を育
て、人並みの子育ての苦労はしてきたつもりの自分であったが・・・。
仮に私が若くて、30年前と変わらない・・・あるいは、それ以上の美しさを今でももっているとし
たら・・・そんな私を見たあの人は、少しでも後悔をしてくれるだろうか・・・。30年前に、私を選
ばなかったことに対して・・・。
マリは、30年前の写真を見ながら、もう一度鏡を見た。
確かに、私は、年齢の割には若く見えるかもしれない。でも・・・頬はこんなにも下がり、30年前
は目立たなかった法令線は、今ではくっきりと見える。そして、首には数本の皺が浮かび、目
の周りには、烏の足跡が・・・。
ふとマリは、両手で、左右のこめかみを押さえて、斜め後方に引き上げてみた。そうすると、不
思議なことに、10歳は若返った気がした。若返りのためのリフトアップ・・・確か、そんな美容整
形の技術があった。耳の後ろにメスを入れ、顔の皮を引き上げることは、大変なことなのだろ
うか・・・。そしてマリは、なぜ女性というものが、高額な金を使い、痛い思いをしてまでそのよう
な手術をするのか、少しだけ分かった気がした。
でも・・・仮に若返ったとしても、それどころか、素晴らしい技術や魔法の力によって絶世の美女
に生まれ変われたとしても、私はもう、昔の私ではない。あの頃・・・30年前にあの人を心に占
めていたほど、今はもう、あの人を心に占めることはできない。たとえあの人が、今の老体では
なく、30年前の、強くてかっこいい姿のままであったとしても・・・。
思うに、誰かに夢中になる原動力というものは、生物的に、"reproduction"・・・日本語で言うと
ころの「生殖」というと、若干ニュアンスがずれ、生々しい表現になってしまう・・・の原動力とな
るべく、仕組まれたものなのではなかろうか。だから、身体的に"reproduction"の能力の高い
若い娘達は、子孫を残すべく、可愛らしく振舞い、容易に誰かに惚れ、夢中になっていく・・・。
でも、年をとり、"reproduction"の潜在的能力が低下するにつれ、誰かに惚れ、夢中になる能
力も低下していく・・・私には、そう思えて、ならなかった。そして、その能力は、時にそのために
人生を踏み誤る、過剰な"sensitivity"・・・「感受性」・・・言ってみれば、自らの体を苦しめる過
剰な免疫反応を引き起こすアレルギー体質のようなもの・・・でありながら、それがなければ、"
reproduction"は成立せず、子孫を残せないという、諸刃の刃のようなものであるのだ。
だから私は、それなりに男性と交流を持つ機会がありながら、誰に対しても、若き日の私があ
の人に夢中になったほどには夢中になることはできなかった。それどころか、いつの間にか、
男というものが心を占めることすらなくなってしまった。そしてそれは同時に、私の心から迷い
や煩悩が軽減し、心の平安を享受できることを意味してもいた。あの子はそんな私の生き方
を、「つまらない人生」と思っていたようだが、私自身は、その能力・・・過剰な"sensitivity"・・・
を失うにつれて、自分の本当の生きたいこと、やりたいことを成し遂げ得た気がする。
私は今でも、時々あの人の夢を見る。でも、そのことは、今の私のあの人への思い、願望を反
映しているわけではない。あの人と再会したところで、あの人と関係を深めようなどとは微塵も
思わない。それは、あの人が既に老いていて、昔の姿を失っているからでもなく、家庭のある
あの人との関係が、世に言うところの、不道徳な、不適切な関係であるからでもない。あれ・・・
あの人を熱愛していたのは、30年前の私であって、その対象は、30年前のあの人・・・。そし
て、時折私を懐かしく、同時に切なくさせるあの人の夢は、30年前の私が、30年前のあの人
との間に逃してしまった、永遠の後悔に他ならない。

「ねえ、ママ、どうするの?」
凛子の言葉に、マリは我に返った。しかし、超人オリンピックのVIP席での観戦・・・それは、マリ
にとって、即座に決断しがたいものであった。
「・・・」
マリが即答に困っていると、凛子が続けた。
「ママ、大丈夫だよ!きっと楽しめるよ!」
この子は一体、何に対して「大丈夫」と言っているのだろうか・・・。
マリは、自分の心の中の迷いが、娘に見透かされた気がした。
「そ・・・そうね、分かったわ。一緒に行きましょう。」
「やったー!じゃあ、ミート君に伝えておくね。」
凛子はそう言うと、2階に駆け上がっていった。

30年前の若き日の自分の憧れだった人・・・いや、本当に好きだった人と再会する・・・それは
それで、別に良いではないか。今の私は、もうあの頃の私じゃないけれど、あの頃の私は、私
の心の中に存在し続けているのだから。
マリは一人、遠い空・・・そのはるか先に、キン肉星があろうである空・・・を、ぼんやりと眺めて
いた。

END

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